ペルセオはイタリアを代表する時計メーカーです。イタリア人なら誰でも「ペルセオ」という時計のブランド名を聞いた事があるでしょう。「ペルセオ」はイタリアの最も歴史ある時計ブランドです。自分の時計、棚の上のお父さんの時計、あるいはどこかの引き出しに眠っているお爺さんか曽お爺さんの懐中時計は「ペルセオ」かも知れません。
「ペルセオ」はイタリア語でローマ神話、ギリシヤ神話の英雄「ペルセウス」に由来しています。ペルセオの創立は1861年か1871年頃ですが、第二次世界大戦の戦禍によりペルセオの記録が一部破壊され、ペルセオの社歴には不明な部分が多くあります。しかしペルセオの宣伝広告で最も古いものに1914年の雑誌広告が残されています。(ダウンロードページをご参照下さい)
「ペルセオ」は元々スイスの時計会社コルテベール(Cortebert Watch Company)のイタリア総代理店でした。しかしコルテベールとペルセオの繋がりは「総代理店」より深いです。ペルセオがコルテベールに投資したため、単なる総代理店というだけではなく、コルテベールの株主でした。ペルセオはイタリア国内での自社の独立性を明確にするため設立当時から「ペルセオ」というブランド名のみを使用し、「コルテベール」と言うブランド名の時計を販売しませんでした。
ペルセオの時計の製造元であるコルテベールの時計ムーブメント(時計の心臓部である機械)は高く評価されていました。様々な有名時計ブランドやトルコ鉄道公社などがコルテベール社製ムーブメントを使用しました。ペルセオは当初からスイスの品質とイタリアのデザインセンスを融合した時計として知られていました。
ペルセオの歴史において重要な出来事が三つあります。一つは、1927年にペルセオがイタリア国鉄の鉄道時計の公式供給先として選ばれたことでした。100年経とうとしている現在でもペルセオはイタリア国鉄の公式認定を受け鉄道時計を供給し続けています。
ペルセオは公式に認定された鉄道時計を製造している世界でも数少ない時計会社の一つです。ペルセオのように100年近くもの長い間、鉄道時計の製造を続けている会社は世界でも他にありません。
ペルセオの歴史における重要な出来事の二つ目は1970年代後半の所謂「クォーツ危機」でした。機械式時計の王座にあったスイスの時計産業は日本製クォーツと新技術の到来に倒壊しました。ほとんど一晩でスイスの時計産業の大部分が失われ数々の時計会社が倒産しました。スイスの時計産業は消滅寸前の状態に追い込まれました。ペルセオの親会社であるコルテベールも例外ではなく危機に陥りました。その当時イタリアではまだ機械式時計の人気があったのでペルセオはコルテベールの工場と在庫をすべて買収しました。これらが後にペルセオのスイスでの製造拠点になりました。「コルテベール」のブランド名は封印し、ペルセオの時計のみを製造しました。こうしてペルセオはクォーツの危機を乗り越えました。ペルセオの時計のほとんどはスイス製です。
そして近年、ペルセオの歴史において三つ目の重要な出来事が起こりました。ペルセオが初めてイタリアで時計の生産を開始しました。イタリアでは時計の部品を国内用と輸出用に製造している会社が多くあります。ムーブメント(時計の機械)を除き時計の製造に必要なパーツのメーカーが様々あるのでペルセオはイタリア国内での時計製造に踏み切りました。
昔と同様、今でもイタリア人にとってペルセオは「イタリアの時計」です。